ちきりんさんの企画に乗っかる。
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伝えたいメッセージを文章にする、ということ - Chikirinの日記
というわけで、もし自分が、・いつもは行かない初めてのスーパーに入ったら、としたら、その経験から、ブログの読者にたいして「何を伝えたい」と思うか、ぜひ考えてみてください。
・価格が驚くほど高く、周りの客の服装もいつものスーパーより、かなりハイソな感じだった。そして、
・「オーガニック納豆をください」と店員に話しかける “6歳ぐらいの女の子”を目撃した
そして実際にブログを書かれたら、私(@InsideCHIKIRIN)と元ネタ提供者である @Jazzy_T81 さんまで、ツイッターでお知らせください。
こんなに狭い日本だけども、俺が見えない世界がたくさんあって、あなたが見えない世界もたくさんあります。だから思いやりや、赦すということが必要だと思うんです。
先日、普段は行かないスーパーに思い切って足を踏み入れました。
なぜ普段は行かないのかと言いますと、そこは高級店として知られているからです。
俺のような(所得の)レベルの人間が行っていいところなのだろうか、という迷いがあったからです。
関東地方であればかなり有名なそこのチェーンは、もちろん私も知っていました。また、私はスーパーマーケット業界と関わる仕事をしていたこともあります。
それもありその店に興味は抱いていました。
こういう時、今までの迷いが嘘のようにポーンと決断してしまうことがあります。今回もそういうパターンでした。ただ意を決して、入店しました。
すると、入り口近くの青果売り場の時点で、グワッと伝わってきます。ハイソ感。おっかさん、これがTokyoのスーパーマーケットだぁ…
私はそんな気分に浸っておりました。
そして、値段が、高い。
値段が、高い!
予測を超えてきました。針、振り切れました…
もちろんそれだけいいものを置いているということではあるしょうが、イオン西友辺りを主な生息地として生きている民にとってはまさしく未体験ゾーン。こんなに高い人参見たことない。この値段なら西友でみかん買ったら何週間分なんだよ!
といった新鮮な驚きがありました。
鮮魚、精肉に関しても全く同じでした。
お、同じ日本に、こ、こういう値段でものを買って食べている民族がいるんだな。
なんでしょうね、この「外から見てる」感。それに何だか客の服装もヤバいです。いい服を着ています。スーパーにいそうなおばちゃんという服装をしている人が誰一人とおりません。服装さえ、ハードルが高く感じました。
完全に「外界」だと思いながら店内を歩いていると、小学校低学年ぐらいか年長くらいの女の子がいました。
すると、その子が店員に何か日本語で話しかけています。
「オーガニックノナットウクダサイ」
女の子は決して片言ではありませんでしたが、あまりにも年齢と発した言葉にギャップを感じました。だから一瞬このように聞こえてしまいました。
オーガニックの納豆をください?
オーガニックの納豆って何⁉︎
納豆って元からオーガニックっぽいじゃん!
そもそもオーガニックって何だっけ⁉︎
その歳からそういうもの食べてたら将来どうなってしまうんだ(もちろんいい意味で)!
頭の中を疑問が渦巻きます。
わからない。解せない。理屈としてはこういう層の人々もいるということはわかっていようとも、実際に目の当たりにすると、もうよくわかりませんでした。
人はしばしば、理解のできないものに遭遇すると何故かその対象をdisってしまうことがあるかと思います。
適応機制が働くのでしょうか。
俺も多々ありますが、最近はこのように考えて、disりたい気持ちを抑えます。
その人にも人生があって、きっと家族がいて、その人なりにがんばって生きている…
これも適応機制なのでしょうか。
disっても仕方ないですからね。ましてやこのような現時点では自分にとって関係が薄い人々に対しては。
だから逆に、おう、こういう人々もいるのか。ふーん。みたいな、ある意味での赦しが大切なのかなと最近切に思っています。そうする理由としては、自分自身が色々周りに赦されて来た人間だからだと思っています。
今度はこういう小さなことからであろうと、俺がやらなきゃ、返さなきゃということです。
詰めるんじゃなくて、赦そう。赦していこう。