嫉妬したくなる瞬間って、どんな時ですか?
嫉妬という感情との付き合い方 - 大卒4年目3社目マンの健康社蓄ライフ
http://kenko-shachiku-life.hatenablog.jp/entry/2013/12/12/213436
先日こんな記事を書きました。
俺は友人などがいい結果を出したのを耳にしたら、「あいつすごいな、俺も頑張ろう」
という思考回路に強引に切り替えてきました。それが16歳とか17歳ぐらいの頃だったでしょうか。
そういう報告を受けた時に、自分自身に沸いてくる嫉妬という感情には見て見ぬ振りをしていました。
嫉妬という感情は、適量であればいいエネルギーになるものだと思っています。
それをシカトし、悪い意味で独立独歩、唯我独尊的な思考を今も保っています。
最近、その辺りのバランスを直さないとと考え始めました。
俺は嫉妬をしすぎると、目標の人に対する怨念がかなり思考を支配してしまいます。エネルギーにはとてもならないドロドロした感情です。
そうなるのを避けるために嫉妬という感情を無視しているのもあります。
しかしその考え方で、得られたはずのエネルギーの機会損失が気になってきました。
もちろん自意識でぐるぐる回していてもしょうがありませんので、嫉妬を感じた時には自分の中でのバランスを早速とることにします。
若い人はどんどん貴重になっていく
先日、中学生を見て思った。
俺が35ぐらいになる頃、彼らは大卒だったら新卒として入社してくるぐらいの歳なんだって。
その頃、団塊ジュニア世代は軒並み50代で、会社の役職なんか詰まりまくってるだろう。
ただ、今より若い子たちはより貴重になっていくんだろうな。人口比率的に考えて。
上にも気をつかいつつ、下にも気を使う。
一番損?する世代は、どの辺りなんだろうね。
今だったら35歳なら中間管理職的な役職の人も結構いるだろうけど、未来はわからない。芸人が30代でも若手扱いされるように、若手の年齢基準もより高めになってたりするのかな。どうなることやら。
ネタがないという言い訳
できる理由を考えていくしかねーよなという話です。
悲しいかな、その時は予防線張りまくりの「中々ネタがない」という回答をしてしまいました。
現状、このブログは続いているわけですし、絞り出せばネタは出てくるはずです。しかしその時の俺はそれを放棄してしまいました。
ネタがない、とか言ってしまうと、そういう言葉に脳も反応してしまうものです。
そうして自ら、ネタがあっても逃してしまう。機会損失があると思います。
だから、せっかく言ってくれた友人に対して不遜な態度をとってしまった。今は誰も何も言わなくても、その時の悔しさを取り戻すべく更新していきます。
こんなもんでしかない自分を認める。
佐々木俊尚さんのツイートまとめ/若者たちを縛る「レールから外れる」という不安/「僕は自分がこの国でエリートコースに乗れると素朴に信じて疑っていなかった」 - Togetterまとめ
1年と少し前、(一応)夢を追うのを理由のひとつとして、新卒で入った会社を辞めました。
地方プラス、そこそこ激務と有給?何それ(辞める時は使えました^ ^)な文化の企業だったため、そこから半年就職活動をしました。そこから2社目に入り、数ヶ月で辞め、日雇いバイトで喰いつなぎ、今の3社目で数ヶ月目に至ります。
大卒の標準コース?すら外れまくりです。俺の場合は辞める理由にパワハラとか不幸な原因はなかったので自ら飛び降りるように外れただけかもしれませんが…
とはいえ適当にやめたわけではありません。現状、転職前に目指していたことのいくつかは実現できました。いずれも小さなことですが。
結局人生一回しかないから、やりたいことができる人はやるのがいいと思うし、上のリンクのtogetterに言及するとレールを外れるのが怖くてもしがみついていられるならしがみつけばいいし、降りるなら降りちゃうのも手だし。
今、そんな状態であり、こんなもんでしかない自分をまず認めてあげるのが出発点な気もする。自分を1番認めてやれるのは自分だから。
ネガティブ思考という保険
ネガティブな考えや状態を発言することで、自分自身を安心させる人もいます。
人生でこれだけの頻度でブログを更新したことがなかったのでありがたいです。続けると数字もついてくるものですね。
先日スターを頂きました。ありがとうございます(通算2人目)。
その時に浮かんだ思いは、
「誤クリックじゃなければいいな」
というものでした。
そしてすぐ、ダメだ、セルフイメージを大きく持とうと自己否定をしました。
「誤クリックじゃなければいいな」
という思いは、自分にとって保険かけすぎで無駄な思考の以外の何物でもないからです。
第一、誤クリックの可能性はとても低いでしょう。そしてそれは知りようがありません。
分かるとすれば、その方からの申告以外ありません。このパターンは逆に感謝すべきでしょう。スターの誤クリック程度で連絡を頂けたのですから。
確かにその思考様式で自分自身は安心するのですが、無駄が多いんです。そこを気にしてどうする?ということです。
一緒にとあるスポーツをしている友人がいます。その友人は試合の前は何かと「寝てねー」とか、「足の調子が良くない」などと言います。ほぼ毎回言います。
でも活躍する時はするし、しない時はしません。他の人とそれは変わりません。
中二病だなーと思う反面、そのコメントをする気持ちもわかると思う自分もいます。ちなみに俺は調子いい時は調子いいとかいけるとかそういった発言をして自分自身をノセていきます。
気持ちがわかると思うのは、彼もまた、周囲より自分自身に保険をかけているんじゃないかということだからです。
ネガティブ思考で自分自身に保険をかける弱い(自戒を込めております)人間もいます。しかし、そのやり方は周りにとって悪影響かもしれません。全体最適を考えると非常によろしくない。
当の本人(すなわち俺です)は謙遜と受け取って欲しくて発言することもあるが、それ自体甘え。周りはそんな意思などわかるわけがない。だから、心では今日のようにネガティブ思考で保険をかけるけども、外への発言はそれをコーティングしていかんとな。俺の中のジメジメに巻き込まない。と思った次第です。
「レベル低いな〜」というブーメラン
現在(通算3社目)の会社で働き始めて数ヶ月が経過しました。
業界は新卒で入社したところと同じです。ですから商慣習はほぼ同じです。
違うのは社内システムの充実度とか、人です。
人の質です。
社内の人間と電話していると、対応ひとつとってもレベル低いと感じることがあります。
もちろん俺もそう思われている可能性はあります。が、結局レベル低いなこいつ、と思っても「そういう人間がいる組織にいるお前のレベルはどうなんだ」というブーメランが飛んできます。
だから俺はもうイラつく対応をされたり超アナログなやり方の社内処理があっても流します。許します。何目線だという話ですが。
嫉妬という感情との付き合い方
ここ何年かは嫉妬という感情をなくすようにしたけど、それはそれで良くないかもという話です。
嫉妬はしすぎても良くないですが、全くないのもそれはそれで問題があるものです。
その点のバランスに悩んでいます。
嫉妬とは、自分の隣近所にある感情だと思っています。
自分と近い、とは?
例えば、野球のダルビッシュ有選手が美女をはべらかしていようがいい食生活をしていようが、俺にとってはそんなに関係がない方なので気にしません。
しかし、同じことを自分の友人がしていたら、もしかしたらモヤモヤした感情を抱くかもしれません。妬み、やっかみ…これが嫉妬だと思うのです。
問題なのは嫉妬みたいなルサンチマン?はマイナスを生み出す割合が圧倒的に多いということです。
また、認識の問題もあります。自分と距離が近いからといって、自分と同レベルにあるとは限りません。
なのに、そういう近いという思い込みが嫉妬を招いてしまう。
特に男の嫉妬は人間の感情で一番醜いと思っています。だからこういうのが本当に嫌でした。
嫉妬という感情をなくすために俺とあいつは友人だけど違うベクトルで生きてるとか、そういうことを思い込みました。
しかしそれはそれで、最低限人間に必要な競争というものから遠ざかってしまった感もあります。競争に勝つには嫉妬という感情も必要だと思います。だからこれからはその辺のバランスもとる必要がありそうです。